長い長〜い狂言の歴史

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長い長〜い狂言の歴史

狂言の誕生

狂言はおよそ650年前の室町時代に誕生した芸能です。
しかし、ある日突然、誰か一人の手によって「発明」されたわけではありません。
その起源からお話させていただこうと思います。

散楽から猿楽へ

狂言が誕生した室町時代から、さらにさかのぼること650年あまり。
いまからおよそ1300年ほど前、奈良時代に、
中国大陸から渡って来た芸能がありました。

それは「散楽(さんがく)」と呼ばれた芸能で、今では見ることができませんが、
残された文献から察するに、面白おかしく物まねや手品、曲芸などを行った、
いわゆる大道芸のようなものだったと言われております。
大道芸と言ってもあなどるなかれ。
なんと一時は国立の養成期間が設けられるなどして、
さまざまなかたちで各地に伝わってゆきました。

そのうちに、「散楽」にコントやお芝居の要素が加わって、
平安時代には「猿楽(さるがく)」と呼ばれるようになり、
歌や舞を中心とした悲劇的な「能」と、
セリフを中心とした喜劇、「狂言」にわかれてゆきます。

狂言の成長

このようにして室町時代に、やっと産声をあげて狂言が誕生するわけですが、
まだまだ狂言としては「生まれたて」の状態。
今とは違った形で演じられていたところがありました。
例えば、当時はまだ台本が存在せず、おおまかな筋立てをもとに、
大部分をアドリブで演じていたようです。
動きの型や、一字一句もセリフを間違えてはいけない現代の狂言とは、
大きく違っていたのです。

やがて狂言が成長するにつれ、台本が生まれ、
室町時代の後期から江戸時代初期にかけて、
流派が確立されます。
大蔵流、鷺流、和泉流という三つの流派です。

狂言の危機

江戸時代に入ると、能と狂言は、
幕府公式の芸能「式楽」として認められ、
手厚い庇護を受けるようになります。
狂言は、より一層洗練されて演じられるようになり、
今演じられているかたちに近づいてまいります。

ところが明治維新によって、幕府が消滅してしまうと、
後ろ盾を無くした狂言は、能と共に危機におちいってしまうのです。
能役者、狂言役者が次々と舞台を去る中、
とうとう狂言の流派の一つ、鷺流が途絶えてしまいました。

しかし、その後の大戦の戦渦を蒙り、
苦労が絶えない中でも、先人たちは努力を重ねて、
狂言は見事に復興し、現代に受け継がれるようになったのです。
一時は途絶えたとされる鷺流も、幸運なことに、
復活の兆しを見せてきました。

和泉流狂言「三宅狂言会」

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わたしたち三宅狂言会は和泉流の狂言会です。
和泉流だけでも長い歴史がありますが、
奈良時代に大陸から渡って来た「散楽」から、
平安時代に「猿楽」となり、室町時代に「狂言」が生まれ、
さらに発展を遂げた長い長い歴史。

気の遠くなるような長い時間をかけ、ゆっくりと熟成され、
絶え間ない変遷を遂げながら、今でも伝統を担って演じ続けられている狂言は、
まさに生きる芸能として、現代の私たちを楽しませてくれるのです。